あくまで私の個人的な考えです、鵜呑みしたらはき出してください。
二日連続でつまらないと思いますけど、何しろネタがなくてorz
最近いろいろなところで言われてますけど、編集に関しては個人の持つセンスだと思います(芸術面とかは先天的な面が大きいとか聞きますからね)
それぞれ自分なりの意見を持つのは自由だと思いますし、これと言って正解らしいものは無いかもしれません。
ハズレはあるかもしれませんが。
一般的なコラボレーションビデオに関しては、選曲>人材になると思います。
どちらが欠けても成り立ちませんが、強いて言うなら選曲が大部分を占めるような気がします。
どういう曲が良いかは正直わかりません、自分が「これいいな」と思える曲で十分だと思います。
ロック、ゆったり、スピード感、和風、何でも大丈夫かもしれません。
問題はある意味動画のチョイスだと思います。
曲調の変化に合わせて素材の雰囲気、シンクロ率を読んで動画を投入しなければ崩壊します。
それが無い場合は、最低でもテンポ感、〆ぐらい合わせないと素材も曲も死にます。
後半がグダグダになる場合はネタ温存を意識することである程度カバーできるはずです。
私の場合は、編集前にトリだけ決めてボルテージの上がり具合を計算しながら編集するようにしています。
曲のサビに使う素材も同様ですね。
ここで盛り上がらないとどこで盛り上がるのか。。。。。
あとは素材のクオリティ配分。
あんまりまばらになると見ている側がイライラすることがあるので注意。
そのために審査を厳しくするとか良いと思います。
それで編集が下手だったらあーうーですけどね(爆
私が厭なのは、漠然とした「カッコイイ」です。
ただそれだけで味がない編集は、苦手です。
いつでも「カッコイイ」が「良い」より一歩前に出ることはない思うんです。
「良い」という概念の中に「カッコイイ」等の部分を特定する概念があると、私は思っています。
部分だけでは他の「良い」要素をあまり含んでいない可能性があるかもしれません。
多少の好みはあるとして、誰にでも共通するような海底的な良さがある意味求められると思うんです。
「良い」の次に「部分的良さ」だと思います。
とは言え、基本的に「部分的良さ」というものが使い勝手が良いです。
私が主催している円描シリーズの選曲は「和」です。
なので編集も和を意識していますが、和を主張する編集はあまり心がけていません。
ただ曲がどうこうなっているからこういう雰囲気にしたいと思いつくだけです(センスかもしれませんが
和風にしたいが先走っているわけではないんです。
こういう編集なら曲と合うだろうなと見当を付けているだけなんです。
それが和風なるのは必然かもしれません。
要は、曲も素材も無視したらいけないんです。
テーマがはっきりしていると編集のイメージもよく沸くと思います。
だから部分的良さは使い勝手がいいんです。
悪い例の一つとして、漠然と
「このエフェクトが使いたい」
はNGなんです。
良いのは
「この素材を生かすにはこのエフェクトにするのが最適」
はおkなんです。
悪い例は成功率が激しく低いです。
極々希に良い雰囲気になりますが;;;
つまり「何となく」は良くないんです。
何かを感じたあとにそれを形にする方が意図が見えますし、編集者の感覚が反映されて見る側が「なんだか良いな」と思えるような作品になる可能性が見えてきます。
それはたぶん素材と曲の架け橋のようなものだと思います。
素材と曲が独立したものでは、編集する意味が無いと思うんですけどね。。。。。。
二日連続でつまらないと思いますけど、何しろネタがなくてorz
最近いろいろなところで言われてますけど、編集に関しては個人の持つセンスだと思います(芸術面とかは先天的な面が大きいとか聞きますからね)
それぞれ自分なりの意見を持つのは自由だと思いますし、これと言って正解らしいものは無いかもしれません。
ハズレはあるかもしれませんが。
一般的なコラボレーションビデオに関しては、選曲>人材になると思います。
どちらが欠けても成り立ちませんが、強いて言うなら選曲が大部分を占めるような気がします。
どういう曲が良いかは正直わかりません、自分が「これいいな」と思える曲で十分だと思います。
ロック、ゆったり、スピード感、和風、何でも大丈夫かもしれません。
問題はある意味動画のチョイスだと思います。
曲調の変化に合わせて素材の雰囲気、シンクロ率を読んで動画を投入しなければ崩壊します。
それが無い場合は、最低でもテンポ感、〆ぐらい合わせないと素材も曲も死にます。
後半がグダグダになる場合はネタ温存を意識することである程度カバーできるはずです。
私の場合は、編集前にトリだけ決めてボルテージの上がり具合を計算しながら編集するようにしています。
曲のサビに使う素材も同様ですね。
ここで盛り上がらないとどこで盛り上がるのか。。。。。
あとは素材のクオリティ配分。
あんまりまばらになると見ている側がイライラすることがあるので注意。
そのために審査を厳しくするとか良いと思います。
それで編集が下手だったらあーうーですけどね(爆
私が厭なのは、漠然とした「カッコイイ」です。
ただそれだけで味がない編集は、苦手です。
いつでも「カッコイイ」が「良い」より一歩前に出ることはない思うんです。
「良い」という概念の中に「カッコイイ」等の部分を特定する概念があると、私は思っています。
部分だけでは他の「良い」要素をあまり含んでいない可能性があるかもしれません。
多少の好みはあるとして、誰にでも共通するような海底的な良さがある意味求められると思うんです。
「良い」の次に「部分的良さ」だと思います。
とは言え、基本的に「部分的良さ」というものが使い勝手が良いです。
私が主催している円描シリーズの選曲は「和」です。
なので編集も和を意識していますが、和を主張する編集はあまり心がけていません。
ただ曲がどうこうなっているからこういう雰囲気にしたいと思いつくだけです(センスかもしれませんが
和風にしたいが先走っているわけではないんです。
こういう編集なら曲と合うだろうなと見当を付けているだけなんです。
それが和風なるのは必然かもしれません。
要は、曲も素材も無視したらいけないんです。
テーマがはっきりしていると編集のイメージもよく沸くと思います。
だから部分的良さは使い勝手がいいんです。
悪い例の一つとして、漠然と
「このエフェクトが使いたい」
はNGなんです。
良いのは
「この素材を生かすにはこのエフェクトにするのが最適」
はおkなんです。
悪い例は成功率が激しく低いです。
極々希に良い雰囲気になりますが;;;
つまり「何となく」は良くないんです。
何かを感じたあとにそれを形にする方が意図が見えますし、編集者の感覚が反映されて見る側が「なんだか良いな」と思えるような作品になる可能性が見えてきます。
それはたぶん素材と曲の架け橋のようなものだと思います。
素材と曲が独立したものでは、編集する意味が無いと思うんですけどね。。。。。。



